移動してきましたのよ。

でもいろいろいじくるの面倒だったので、何もかも前のまんまじゃよ。ヨロピクね。(何のための移動…)

会社を辞めた。おめでたい理由も何もなく、ただひたすらになんかもうヤダと思ったので辞めた。別に意地悪い人もいなかったし、たぶんみんな良い人間だったし、親切にされたことなどを思い出すと、消え入りたくなるほどに申し訳ない気分でいっぱいになる。業務内容もおおまか希望通り、それなりに忙しい職場ではあったけど死ぬほどではなかったし、お給料だってわたしにしては上出来だった。

なので、何がそんなにイヤなん?と自分自身疑問に思うほどであった。いろいろ考えて、唸ったり転がったりして過ごしていたけど、昨日くらいにハッと気がついた。わたしはただ単に「毎朝起きて、身なりをちゃんとして会社に行って、好きでもないひと達に囲まれて、好きなことだけじゃなく、あんまり好きじゃないことでもちゃんとする」というだけでものすごく疲弊してしまう、そういう人間であるというだけのこと。そういうことに耐えられない、ただそれだけなのだろう。

なんとなく、誰だってやっていることだから自分にも出来るような気がしていた。訓練次第で出来るようになると思っていた。そんなに好きでもないことも、笑ってやり過ごせるような、わりとバランスの取れた器用な人間だと思っていた。それで実際やってみて、確かに数年間山あり谷ありだったけど、それなりに出来た。でも、最後にはやっぱりボカーンと爆発して終わった。やっぱり、という感じだった。気がつかなかったというよりは、自分がそんな残念な人間だということを認めたくなかったけど、認めてしまった今はわりと前向きです。自分の苦手なことがまた1個分かったから、そうじゃないことをやって生活しようと思った。

そして、もうちょっと自分の勘とか、先入観を信じようと思った。わたしはわりと「これはわたしには向いてないかも」「わたしとはかけ離れたものかも」「嫌い」と思うものでも、とりあえずやってみる、というか嫌なことが多すぎるからやらざるを得なくて、無理矢理自分を言いくるめてるような節がある。もちろんやってみてうまく行くこともある。でも、あまりにも自分の気持ちに無茶をさせすぎる・好きだと思い込ませないとやれないようなことは、やっぱりあんまし良くない。良くないっていうのは、自分もおかしくなるし、周りにもとても迷惑をかけてしまうという点で良くない。まぁいろいろやってみたからこそ、こうやって諦めもついたのだから、それはそれで良かったけど、今後はもうちょっと自分の勘を信じて、自分を言いくるめるのをなるだけ(社会からはみ出さない程度に…)やめて、行動しようと思った。

会社を辞めて、とりあえず暇すぎるしどうしようかなーとネット見てたら良さげな職業訓練を見つけたので、申し込んでみた。受かったら4月から学生。受からなかったら、どうしよう〜。そんな感じの無職の春。おいしい肉まんを食べたり、野菜を煮たり、ゲームしたりアニメ見たり、フリーダム。自分探しの旅は止まらない。